lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

幻ではなかった。

千の風プロジェクト 大阪大空襲の夜 地下鉄は走ったのか
1945年3月13日深夜から翌日未明にかけて米軍により行われた大阪大空襲(Wikipediaによると,終戦まで何度も大阪には空襲が行われたそうです)の際,空襲で火の海になった心斎橋から梅田まで,地下鉄御堂筋線を避難民を乗せた地下鉄が走ったという証言があるそうです。
上記番組は,当時その電車に乗ったという生存者の証言や,当時の地下鉄関係者の証言や残っている記録から,本当に地下鉄は走ったのかを検証しています。
結局のところ,その地下鉄が走ったか否かの公式な記録はないのですが,証言や記録を集積した結果,以下のようなことが分かったそうです。

  • 終電後は地下鉄駅の入り口は閉鎖され,地上から一般人は入れないようになっていた。しかし,大空襲の晩,火の海になった心斎橋駅に避難民を入れてくれた「誰か(職員なのでしょうが)」がいた。
  • その電車が走ったのは,正確な時間は不明だが複数の証言から14日午前3〜4時の間と推定される。普段その時間に走る電車はなく,また,終電後は地下鉄への送電はストップするので,電車が走ることは不可能である。
  • ところが,1945年3月13日の終電後〜14日始発まで,終夜送電を続けろという指令が上の方から出ていたという。*1よって,3月13日深夜〜14日早朝まで電気は通っていたので電車は走行可能であった。
  • 電車を動かすためには,電力の他に運転士が必要だが,当時そのような運転士の配置はなかったという。ところが,非常用物資の移動のために(当時地下鉄駅は非常用物資の貯蔵庫にもなっていたという),3月14日の早朝始発前に業務用の電車が走らされた可能性があるという。
  • 心斎橋駅から避難民が乗った電車は,ほぼガラガラであり,恐らくは上記の業務用であった可能性が高いと推察できる。

総合すると,地下鉄の現場の職員の誰かの機転で,普段夜間は閉鎖している駅入り口をそおっと開けて,猛火に追われた避難民を駅構内に入れ,業務用でたまたま運転していた電車に乗せてまだ火の回っていなかった梅田方面まで避難させたということらしいです。
行為自体は尊いですが,明らかな業務違反ですから,誰からも「私達がやりました」と申し出がないのもむべなるかなと思いました。
なお,この番組は10年ほど前の毎日新聞の記事とその記事を書いた記者さんのインタビューを基に,構成されているので,興味がある方は毎日新聞の記事を調べてみられるとよいでしょう。番組で証言されておられた生存者の方も,その新聞記事に反応された方ということです。
lionusもいつどこで知ったのか忘れてしまったのですが,大空襲の中,御堂筋線に電車が避難民を乗せて走ったということを聞いていたので,本当の話だったのか知りたくて,深夜放送をビデオをとって観たのです。非常に見ごたえのある番組でした。

*1:何らかの情報により,当日大阪に大空襲が行われることを鉄道関係者上層部が知っていたのではないかという。