lionusの日記(旧はてなダイアリー)

「lionusの日記」http://d.hatena.ne.jp/lionus/としてかつてはてなダイアリーにあった記事を移転したものです。

昔書いた川原泉作品に関する文章1。

随分前に書いた文章ですが,ほとんど改変せずに載せてみます。

フロイト1/2 (白泉社文庫)

フロイト1/2 (白泉社文庫)

S.フロイト精神分析学,深層心理学創始者,『夢判断』(1900)で夢が成立するさまざまなメカニズムを説くとともに,「夢は無意識にいたる王道である」ことを示唆し,後世に決定的な影響力を与えた,20世紀で最も有名な心理学者*1のひとり。
大昔から夢解きの類はあったにせよ,現在の夢診断,夢占いの数々はフロイト抜きでは成り立たないといって間違いないでしょう。
さて何でそんな大先生が,マンガのタイトルに登場してくるのでしょうか。

主な登場人物

  • 篠崎梨生(りお):女主人公。私生児として生まれた上に幼くして母に死なれ,おば夫婦のもとで育つが,そんな境遇をみじんも感じさせない天然系の,のほほんとした女の子。
  • 瀬奈弓彦:もうひとりの主人公。山男だった父は穂高で行方不明になり,以来母ひとり子ひとりで育つ。しかしその母も働き過ぎがたたり,彼が大学生の時に亡くなってしまう。
  • 風呂糸屋:ナチスの迫害を逃れ亡命したロンドンで享年83歳で没した後,魂だけの存在になったフロイト教授。あの世ではだじゃれ好きの提灯屋。

ストーリー

小田原城公園

山登りの帰りに友人の八木沢と小田原公園に立ち寄った大学生の弓彦は,8歳のちびすけ梨生に出会う。そこに提灯売りの風呂糸屋があらわれ(風呂糸屋の姿は弓彦と梨生にしか見えない),弓彦と梨生に東西二つで一組の自作の提灯をそれぞれ5円で売り渡した。

西の提灯は嬢ちゃんに
東の提灯は学生さんに

ところが,その提灯はただの提灯ではなく,さすが風呂糸屋特製だけあって,その提灯を分け合った二人はたがいに一つの夢を共有することになったのだった。

穂高

その後,弓彦と八木沢は共に雪の穂高にアタックするため,資金稼ぎのバイトに明け暮れる毎日。夜は疲れて死んだように眠り,夢の中での弓彦は梨生にいくら話しかけられても「しろ目〜」のままで答えない。弓彦にとって父が行方不明になった穂高は特別な意味を持っており,彼はこれを最後に大好きな山登りをきっぱりあきらめる決意をしていた。

しかし・・・それが運命の分かれ道だった ―弓彦

万全の準備で臨んだ穂高で,天候急変,猛吹雪に出会い遭難してしまう。八木沢と二人で吹雪で視界ゼロの中退路を断たれようとしたその時,

こっち こっち 山小屋はこっちだよ 弓彦君

西の提灯を手にした梨生が弓彦の目の前にあらわれる。彼女の道案内で山小屋までたどり着き,二人は九死に一生を得る。
ちょうどそのころ梨生は原因不明の高熱にうなされ,やはり夢うつつの中だった・・・

パニックス

あれから10年後,18歳の女の子に成長した梨生は,ファミコン好きのいとこの和樹にのせられ,ヒット作品連発の今をときめくゲームソフトハウス「パニックス」のバイトに応募し,そこで弓彦と八木沢に再会する。「パニックス」は弓彦と八木沢が苦労して立ち上げたベンチャー会社だった。
「あーっ 思い出した!あの時の小田原城の提灯娘!」と懐かしがる八木沢。
梨生はあっさりと採用されるが,なぜか弓彦は浮かない顔である。
その晩,梨生と弓彦は夢の中でも再会する。

弓彦:そーか・・・あの時もこーやって出てきて助けてくれたんだよな
梨生:わたし 肉まん貰った(小田原城で初めて会ったとき)お礼言いたかったんだ
弓彦:こっちこそ礼を言うよ 命の恩人だからな

でも二人で同じ夢を見ているなんて信じられないと,次の日自分の提灯を持って出社し,目と目が合ったら提灯を広げて合図することを約束する。もし本当に夢を共有しているなら合図できるはずだ。
果たして次の日・・・合図は成功。梨生は「二人して同じ夢見るなんてすごいねっ」と感激するが,弓彦は「何がすごいんだよ」と全くつれない態度で梨生は戸惑う。
一方,梨生の育ての親であるおじも困っていた。実はパニックスと同じビルに自分の事務所があり,そこで梨生の実の父親である滝杷(たきえ)と出会っていたからだ。滝杷は出世のため身ごもっていた梨生の母親を捨て,上司の娘と結婚したのだが,社内での派閥争いに負け会社を去り(ついでに妻にも逃げられ),パニックスに営業部長として転職していたのだった。つまり,実の父娘が同じ会社で鉢合わせというわけである。
おじは滝杷に「梨生にまだ余計な事は言わんで下さい」とビルの一角で詰め寄るが,滝杷は「今さらどのツラ下げて父親だなんて言えますか」と寂しそうに苦笑する。ところが何とその会話を弓彦が立ち聞きしてしまい,「面妖な事を聞いてしまった・・・」と驚愕する。
それからも弓彦と梨生は会社でも一緒,夢の中でも一緒の日々が過ぎるが,相変わらず会社での弓彦は無愛想である。「夢の中ではあんなに親切なのに・・・」梨生はちょっと悲しい。
昼間の弓彦は梨生に無愛想なだけでなく,仕事の鬼でもあった。
穂高で梨生に助けられた後,下山してみると,待っていたのは大掛かりな捜索救助活動による「冬山遭難事故捜索救助費用」の請求だった(捜索ヘリを飛ばす費用も救助隊の日当等も,全て遭難者自身の負担になり,それ用の保険もあるくらい)。弓彦と八木沢は共に莫大な借金を抱える身となり,しかも弓彦の母親が父親から引継ぎ,守っていた工場が人手に渡る不運も重なる中,弓彦の母親は働きづめて・・・死んでしまう。
以来,弓彦は金の亡者になった。
一部始終を聞いた夢の中での梨生は言った:

・・・弓彦君はお金が好きだけど嫌いなんだね
そんで この10年間ずーっと夢を見る間もないぐらいに忙しかったんだね
かわいそーだね

目覚めた弓彦は「何が,かわいそうだ」といらだち「東」の提灯をにらみつける。
そしてついに,夢の中の俺と現実の俺とは違う,変な夢に悩まされたくない,と梨生の目の前で「東」の提灯を燃やすという暴挙に出る。
暴挙は提灯を燃やしただけではなかった。弓彦は事業拡大を強引にはかるあまり,親友で共同経営者の八木沢と仲違いしていた。八木沢は会社に出てこなくなり,片輪を欠いたパニックスはその名の通りパニック!
・・・弓彦は夢の世界でも,昼の現実世界でも,ひとりぼっちになった。
提灯を燃やした晩も弓彦は夢を見た。

―暗い ここはどこだ 誰もいない

そこへ風呂糸屋が10年ぶりにあらわれる。

風呂糸屋:そら!それが夢の砂漠じゃて 乾いた心が見る夢じゃ
弓彦:そんな・・・いやだよ俺
風呂糸屋:あんたが捨てた あんたが消したんだ 心が動揺しそーになってあわてて提灯に火をつけた
風呂糸屋:安心するがいい 社会人 もう誰もあんたの邪魔はしないさ 提灯だって片っぽ無くなったからね あの子も来ないよ
弓彦:梨生・・・梨生もこんな寂しい所にいるのか!?

風呂糸屋は梨生が今見ている夢を弓彦に示す。
梨生は子どもの頃の夢を見ていた。

梨生:ケンちゃんユミちゃん あそぼー
二人の子ども:あ 梨生だ/あの子さー私生児なんだって/よくわかんないけどおかーさんがそー言ってた/ふ〜ん/あんな子ほっといて向こうの方であそぼっ
梨生:・・・
(弓彦登場)
大学生の弓彦:梨生 もひとつ肉まん食え さっさと食えよ 冷めるから
梨生:うん ありがとね弓彦君 提灯を半分こしてくれてありがとね 遊んでくれてありがとね・・・

愕然とする弓彦。

・・いやだ 一人ぼっちはいやだ・・・ ごめんよ ごめんよ ごめんよ 許して下さい・・・

物語は急展開しハッピーエンドを迎える。
弓彦は八木沢にわびを入れ,梨生は滝杷と父娘揃って暮らせるようになる。実は梨生は高校に入学する時,滝杷に認知され「庶子」になっているのを戸籍謄本で見て,滝杷が自分の父であると知っていたのだ。
めでたし,めでたし。

二つの提灯

この物語は”夢”を軸にして”本当の自分”というものを見失うことの危機を描いているように思います。もちろん”現実の自分”―例えば事業拡大に躍起になるパニックス社長の弓彦―も,も本当の自分でしょうが,”夢の中の自分”―世間の荒風にはふれさせたくない,心の内のやわらかな部分―を抜きにしては”本当の自分”たり得ないのです。それが東西一組の提灯に象徴されています。どちらが欠けても,”本当の自分”は成り立たないのです。
ここまでが普通の読み方でしょう。
ところがかのかーら教授*2は,東西一組の提灯にもうひとつの意味を込めているようです。それはベルリンの壁に象徴された、東西冷戦の問題です。
彼女は物語の中でちらりと,ユダヤ人でナチスに迫害され亡命したフロイトに,その悲しみを語らせています。

おじさんにはね もう帰る国は無いんだよ・・・
・・・何もかもあの音から始まるのだ 人も心も踏みにじる軍靴の集団 狂気のよーなユダヤ人狩り 死んでいった多くの同胞・・・
人を傷つけ殺し合いながら 彼らは眠りの中でどんな夢を見るのだろーか・・・

そして梨生と弓彦に東西一組の提灯を通じて,希望を託すのです。

西の提灯 東の提灯 嬢ちゃんと 学生さん 人と生まれたからにはいい夢を見るんだよ・・・

しかし「東」の提灯は燃やされてしまいます。これは,東西冷戦とソ連邦解体を意味しているのではないでしょうか。作品が発表された1989年はフロイト没後50年に当たるだけでなく,ベルリンの壁が崩壊した節目の年です。壁が崩壊したのは11月なので,この作品が壁の崩壊に先立つか否かは分かりませんが,さすがかーら教授,壁の崩壊後共産主義が否定され,西側諸国=自由主義連盟の勝利が喧伝された後の世界の状況を見越していたのではないでしょうか。東が負け,西が勝った,といって喜ぶ驕慢の愚かさを痛切に突いているのです。
東の提灯は燃えてしまいましたが,弓彦は回心し,ハッピーエンドを迎えることができました。ここに冷戦終了後,過去の反目を乗り越えようとする希望が象徴されています。
最後のコマで風呂糸屋は今度は「北」と「南」の提灯を手に,梨生と弓彦が来るのを待っています。東西冷戦の次に残されているのは,南北問題であることをかーら教授は示しているのです。

*1:フロイトを心理学者とみなすかどうかについては異論はあるでしょうが。

*2:川原泉ファンは,敬愛の念を込めてこう呼ぶことがある。